ABCDBLOG

雑学系豆作家ABCDが今注目していること!

昭和時代のトップアイドルは松田聖子 ②【日本のアイドルに注目 (47)】

売れまくり

前回の続きです。松田聖子のトップアイドルとしての歴史は実質的には2曲めの青い珊瑚礁からはじまります。唄いだしの「あー、わたーしーのーこぉいわぁー」の声ののびがたくさんの人の心をつかんで大ヒット、オリコン週間シングルランキングの最高位は2位、ザ・ベストテンには毎週出演してスタジオや中継で唄いまくって一気に1位まで駆けあがりました。売上枚数は約60万枚、年末の賞レースはこの曲でたくさんの新人賞を受賞しました。翌年春の選抜高校野球大会(いわゆる春の甲子園)の行進曲にも選ばれましたから、まさに社会現象となる大ヒットだったわけです。

このあとのことは細かくは書きません。ヒット曲を大量生産してとにかく売れに売れて売れまくりました。

オリコンの週間シングルチャートで1位を獲得した曲が1980年10月の「風は秋色」から1988年9月の「旅立ちはフリージア」まで連続で24曲、さらに8年あいてもう1曲(「あなたに逢いたくて~Missing You~」松田聖子史上最大のヒット曲にして唯一のミリオンセラー)も含めて通算25曲、です。しかもこれには最高位2位だった青い珊瑚礁は含まれていません。

余談ですが、初めて1位になった風は秋色について、松田聖子の初期における最大のヒット曲ですが、当時毎週出演していたNHKの若者向け音楽番組「レッツゴーヤング」においてはなぜか両A面のもう一方の曲「EIGHTEEN」ばかり毎週唄っていました。風は秋色を唄ったことは、少なくともヒットしている最中の時期にはなかったみたいです。風は秋色が何かのCMソングだったためNHKではNGとされていたのだろうと思われます。もしもレッツゴーヤングでも歌うことができていたらさらにもっと売れていたかもしれません。

松田聖子と言えば1位

1位の記録に関する余談も1つ。「ガラスの林檎」が1位になったあとチャートを下降しているさなかB面(今でいうカップリング曲)の「SWEETMEMORIES」がサントリーのCM曲として採用されて人気を博し、ジャケットだけ変更して両A面扱いにしたところチャートを再上昇し、またしても1位になりました。このことは24曲連続1位の記録において考慮されていませんが、考慮すれば実質25曲連続1位、通算26曲1位ってことになります。1位になった曲だけでコンサートの、それも長めのセットリストが作れそうです。

シングルの通算売上枚数は1500万枚超で今も現役ですから今後まだ増えるでしょうし、次の大ヒット曲が出ることだってありえます。もしそうなったらどんだけ売れるんだよって感じですね。

ライバル

松田聖子のライバルと言えば中森明菜の名前がまずあがるでしょうが、2人は同期ではありません。中森明菜のほうがデビューが遅く、2年後輩です。中森明菜松田聖子のライバルと言われるようになったのは松田聖子のデビュー3年め、82年以降です。

松田聖子がデビューした80年にはまだ70年代のトップアイドル山口百恵が現役で、相撲界における千代の富士貴乃花の新旧大横綱の入替りと似た状況にありました。山口百恵の10月の引退にあわせてポスト百恵は誰かの議論がおきていてその中では三原順子とよく比較されていました((21)参照)。

翌81年は映画界からアイドル女優の薬師丸ひろ子が爆発的な人気を得てデビュー曲の「セーラー服と機関銃」を大ヒットさせます。同時期にリリースされた松田聖子の名曲「赤いスイートピー」とチャート1位を争うなど、人気アイドルとしてライバル関係にありました。

最近はお母さん役が多いあの薬師丸ひろ子がトップクラスの人気を誇るアイドルだったことは、今の若い人はほとんど知らないんじゃないでしょうか。「元気を出して」という薬師丸ひろ子の代表曲が、近年なぜか楽曲提供者の竹内まりやの声でラジオなどから流れてくることが多いようですが、LPとカセットを合わせて約50万枚売れた薬師丸ひろ子の1stオリジナルアルバム古今集の1曲めに収録されていますから。次回も続けます。